濱崎 隆(はまざきたかし)
  都立大崎高校卒業後、シンガーソングライターをめざし、音楽の基礎を学ぶため日本芸術専門学校 (新規校)に入学。募集人員不足のため、初年度は演劇科に入学、一年間演技、日舞、殺陣、発声などを学ぶ。 2年目に音楽科に編入。 この時期にテレビ・ラジオ・映画などのエキストラ(演技実習として)を経験。 1983年、日本芸術専門学校音楽科卒業、在学中より斎藤勇に師事、ギター・フルート・バイオリンを斎藤勇に学ぶ。 また声楽を立木智子に学ぶ。斎藤勇と兄弟子で結成した東京ギター三重奏団団員として、 青森県・群馬県などの学校ほか各所で演奏活動を行う。 専門学校時代よりアルバイトをしていた書店業界で働きながら音楽の活動を行う。
  クラシックギターの演奏会をより楽しく変化のあるものにしたいと、 フルート・芝居・落語・自作の歌などを取り入れたステージを企画公演中。

立川志隆(たてかわしりゅう)
 小学校高学年より落語に興味を抱く。6年生のクリスマスにプレゼントされたラジカセで好きな落語家の話を録音しまくる。大学に合格した際には「落研」に入ろうと決めていたが、幸か不幸か大学に落ち前記の専門学校へ。91年9月に仲間うちの旅行で初めて人前で落語を披露。受けてしまったことに味をしめ、落語にのめり込む。93年9月立川流Cコースに入門、立川談志門下となる。自分の企画するギターの演奏会で徐々に落語を披露するようになる。しだいに落語だけの会を開催するようになり、97年5月12日、ついに「立川志隆」の名を談志師匠よりいただく。7月11日に「四谷倶楽部」においてお披露目ライブが行われた。このライブに「本の雑誌」の取材が入り、97年9月号に「新進落語家・立川志隆は書店の店長だった!」とのタイトルで掲載。この記事を見た雑誌「THE CARD」より取材を受け、98年1・2月合併号にて「表現者たちの冒険」の特集に掲載。この記事を読んだ福井県永平寺町より公演の依頼を受け、98年2月福井県永平寺町にてライブを行い好評を博し、2000年3月「永平寺町志隆の会2」を公演。また、1998年12月31日に持ちネタが、立川流Aコース(プロのコース)の前座から二ツ目への昇進基準である50席を突破、現在持ちネタは105席。
99年より「ギター」「フルート」「落語」による志隆の会を、本格的に全国展開し、2000年より、現在在住の神奈川県を中心に東京都内、埼玉、千葉、茨城、栃木、群馬、山梨、静岡、長野、岐阜、北海道、福島、宮城、秋田、新潟、三重、神戸、広島、福岡など各地にて公演を行ない、好評を博す。高齢者の施設はもとより、福祉協議会の各種イベント、地域の催し、幼稚園保育園まで、幅広い年齢層の会で活躍中。
 99年に60回、2000年に110回、2001年に170回、2002年からは毎年年間200回を越える「志隆の会」を各地で公演し、2004年9月に通算公演回数1,000回を突破した。2005年4月より長女の通う小学校のPTA会長となってしまった。
2002年度世田谷老人大学「文化B」講師。綱島カルチャーセンター「ギター科」講師。「神奈川童謡の会」歌唱指導。

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